上重聡アナの野球の実力は?甲子園や松坂大輔との対決の結果は?

男性アナウンサー

日本テレビアナウンサーの「上重聡(かみしげさとし)」さんの野球の実力について検証してみました。また、過去の甲子園での戦歴や松坂大輔との対決の結果についても調べてみましたのでご紹介したいと思います。

上重聡アナは現在37歳(生年月日:1980年5月2日)です。身長も181cmと高身長です。現在は不祥事があり仕事も現期限される中、とある経歴が支えていたともいわれています。それが野球です。

Contents

小学生時代

上重聡アナは大阪府八尾市出身で、小学2年生から野球を始められたそうです。

その才能は既に小学生の頃から開花していたようで、なんと小学校では全国大会優勝を果たします。

中学生時代

大阪市立龍華中学校に進学された上重聡アナは、部活動で野球を選択せずにクラブチームに入り活動されます。

有名な野球選手に多いパターンですよね。明らかに部活よりもクラブチームのほうがレベルが高いですから。これは野球に限らず、サッカーにもいえたりもしますね。

「八尾フレンド」という少年野球チームで活動されます。そのチームでは、平石洋介さんと一緒のチームメイトとなります。

平石洋介さんとは、現在、東北楽天イーグルスの一軍打撃コーチになっている方です。

全国大会優勝を果たし、その実績もあってか、あの有名なPL学園高校へ進学されます。

スポンサーリンク

高校時代

今となっては、PL学園高校は不祥事が重なりイメージは最悪ですが、当時は、大阪桐蔭高校なんてかすむほどの実力高校でした。

出身者には、清原和博、桑田真澄、前田健太とそうそうたるメンバーが顔をそろえています。

その中に入りレギュラーを獲得するというだけでも、他高校のエース級です。おそらく当時のレベルからすれば、ベンチ入りしただけでも他高校のエースで活躍できるほどの差はありました。

その中で、上重聡アナなんと、PL学園野球部に所属しエース投手として活躍されるのです。ちなみに同級生に大西宏明さがいます。

その実績をみていきましょう!!

1998年の第70回選抜高等学校野球大会

準決勝で平成の怪物と言われた松坂大輔を擁する横浜高校と対戦し、敗戦。

結果はベスト4でした。既にそれだけでも十分にすごいですよね。

ちなみに松坂大輔さんとは同い年です。

1998年の第80回全国高等学校野球選手権大会

準々決勝で再び横浜高校と対戦するも延長17回の末(先発は稲田、上重自身は7回から登板)敗れた(PL学園対横浜延長17回)。

再戦するなんて運命だったのでしょうか。上重聡アナからすれば途中登板ですので、不本意かもしれませんね。それでもベスト8ですから、十分な実力は示せていますが。

この激闘は高校野球史に残る試合として、今でもファンの間で語り継がれている試合のひとつです。

第3回AAAアジア野球選手権大会

夏の甲子園敗退直後、5ヶ月前にPLの監督を退任した中村順司が指揮する第3回AAAアジア野球選手権大会日本代表に選出され優勝に貢献した。

そりゃ選出されますよね。圧倒的な実力がありますから。

しかし、上重聡アナはその後、プロ入りをせず、大学に進学するという道を選びます。この選択が吉と出たのか凶と出たのかは本人にしかわからないところですが・・・

スポンサーリンク

大学時代

上重聡アナは、スポーツ推薦で、立教大学コミュニティ福祉学部コミュニティ福祉学科へ入学します。

立教大学硬式野球部では右ひじを傷めたこともあり一時期外野手にコンバートしたが、2年のときに投手に復帰し、同学年の(1998年夏の甲子園初戦で対戦した八千代松陰高校のエースだった)多田野数人と共に投手陣の主力として活躍した。

2000年10月22日に、東京六大学野球秋季リーグ戦の対東京大学2回戦で、36年ぶり史上2人目となる完全試合を記録した(この時のウイニングボールは上重直筆による「完全試合」のサイン入りで野球体育博物館に展示された)。

しかし、大学3年ごろからアナウンサー志望を表明しアナウンスセミナーに参加。また、当時ひじの故障に悩まされ、4年時には主将を務めるもこの頃には思うような投球ができなくなっていた。

プロチームからも声がかかっていたが、自らその進路を断念。

東京六大学リーグ戦通算30試合登板し、9勝3敗、防御率2.31。

ケガさえなければ間違いなくプロ野球選手として活躍されていたに違いありません。

思うような投球ができていないにもかかわらず、この好成績ですからね。

野球一本で大学までやってきて、実績もあって、プロ間違いなしといわれたタイミングで自らプロを断念しなくてはいけなかった環境には胸が痛くなります。

普通の人では絶対に経験できない人生だったでしょう。

しかし、上重聡アナがすごいのは、そこで諦めず、アナウンサーになろうとして、実際にそれをかなえたことにあります。

本人は、高校時代の甲子園出場時にインタビューを受けた経験がアナウンサーを目指すきっかけとなったと語っている。

当然、アナウンサーも相当な狭き門ですからね。もちろん、イケメンで高身長で野球の実力はプロ並でとなると引く手あまたでしょうが、本人がその道を選べるかといえば、未練が残りますから簡単な話ではなかったでしょう。

単純に尊敬に値すると思いますね。

今現在

お笑いタレントのアントニオ小猪木が2018年2月12日、ブログを更新し、日本テレビ上重聡アナウンサーと野球を楽しんだことを報告した。「爽やかなイケメンがいる」と思ったら上重アナだったとしている。

小猪木は「この日は中山秀征さんの野球チームに初参加した」と書き出し、「チームメイトに抜群に野球の上手な爽やかイケメンがいてべた褒めしてたら上重アナウンサーで」と、意表をついて驚かされたことを明かした。上重アナはPL学園高校野球部出身。エースで、松坂大輔とも投げ合った。

小猪木は「こんな上手な人から小猪木みたいなのまで色んな人たちが楽しめる野球で楽しかった!上重アナとツーショット撮ったど」と写真も掲載した。

2005年2月7日、萩本欽一が創設し監督を務める社会人野球クラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」のキャンプで入団テストを受験し、萩本より「監督」枠として採用された後、投手として正式登録された。また、2009年には、日本テレビアナウンサーユニット「ベアーズ」のメンバーに抜擢された

やっぱり、野球は続けられていたんですね。ちょっとほっとしました。

ただ、このレベルの人が草野球にこられたら素人なんてひとたまりもないですけどね(笑)

ただ、不祥事が原因で、野球中継や実況ではぱったりと見なくなってしまった上重アナ・・・果たして、今現在の活動はどうなっているのかもあわせてご覧ください。

・「上重聡アナの今現在は?不祥事で降板後、退社した?復帰した?コメント掲載!

コメント

Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.
タイトルとURLをコピーしました